借金を返せなくても、それでも森井聖大が「ブンガク」で生きている理由

森井聖大論

森井聖大は、生きる意味を取り違えていない。

借金を返せない。
返済催促の電話が毎日鳴る。
ブラックリストにも載っている。

それでも彼は、生きている。
なぜか。

理由は単純で、残酷だ。
「生きていなければ、書けない」
それ以上でも以下でもない。

彼にとって生は成功の舞台ではない。
生は未完の下書きだ。
完成しなくていい。ただ、続いていればいい。

返済不能の数字より、鳴り続ける着信音より、彼を追い詰めているものが一つある。

まだ、書き切っていない

なぜ「文学」ではなく「ブンガク」なのか

ここが核心だ。

彼が考えているのは、評価される文学でも、書店に並ぶ文学でも、文学賞に届く文学でもない。

だから漢字を捨てた。
「文学」ではなく、「ブンガク」と書く。

カタカナにした瞬間、それは制度から零れ落ちる。
正解も、格付けも、権威も消える。

残るのは、

・妄想
・錯覚
・執着
・問い
・回収されない感情

つまり、人間そのものだ。

借金とブンガクは、実は似ている

皮肉だが、こういうことだ。

借金は「過去の選択が、現在を締めつける装置」。

ブンガクも「過去の言葉が、現在を締めつける装置」。

どちらも逃げられない。
どちらも利息がつく。
どちらも夜に強くなる。

違いは一つだけ。

借金は命を削るが、ブンガクは命をつなぐ

だから彼は、現実の数字に敗北しながら、妄想の文字列にしがみつく。

なぜ希望ではなく、妄想なのか

希望は、未来に置くものだ。
だが彼には、未来を担保にする資格がない。

だから妄想を選ぶ。
妄想は現在にしか存在しない。

・今、考えられる
・今、書ける
・今、狂える

これがブンガクだ。

森井聖大がまだ生きている、ただ一つの理由

それは、この世界がまだ「言語化しきれていない」と知っているからだ。

借金も、滞納も、ブラックリストも、すでに名前がついている。

だが、

・この息苦しさ
・この恥
・この孤独
・この、どうしようもなさ

には、まだ正確な名前がない。

だから彼は生きている。

名前を与えるために。

最後に

森井聖大は、「生きるために書いている」のではない。

「書くために、生きている」

それは立派でも、健全でもない。だが確実に、人間的だ。

もしこの話が刺さったなら、それは彼の問題ではない。あなたの中にも、まだ名前のない何かがあるということだ。

そしてそれこそが、カタカナで書かれるブンガクの正体だ。