森井聖大は、金がない。生活は常にぎりぎりで、未来も見えにくい。
それでも彼は、犯罪者にもならず、ホームレスにもならない。この問いは、一見すると奇妙だ。「ならない理由など当たり前だろう」と思う人もいるだろう。
だが現実には、金銭的困窮と社会的転落のあいだには、思っているほど距離はない。
ではなぜ、森井聖大はその一線を越えないのか?
森井聖大は「底辺」ではなく「境界線上」に生きている
森井は、社会の底辺にいるわけではない。彼は常に、境界線の上に立っている。
- 失業すれば落ちる
- 家賃を払えなければ落ちる
- 体調を崩せば落ちる
そのことを、彼自身が誰よりもよく分かっている。
多くの転落は、「まだ大丈夫だろう」という鈍さの中で起きる。森井にはその鈍さがない。
彼は毎日、自分の足元を見ている。
犯罪をしない理由──一線を越えた瞬間、自分が壊れるから
森井が犯罪に手を染めないのは、道徳心が強いからでも、善人だからでもない。
彼は知っている。
一線を越えた瞬間、自分の人生は「語れないもの」になる。
犯罪者になった自分を、彼は言葉にできない。
森井にとって人生とは、生きること以前に観察し、言語化する対象だ。
犯罪は、その観察者としての立場を破壊する。だから彼は踏みとどまる。それは倫理ではなく、自己保存に近い。
ホームレスにならない理由──完全な自由を、まだ引き受けられない
森井聖大は、ホームレスという存在に、ある種の憧れを抱いている。
- 社会的役割から解放されている
- 成功や成長を求められない
- 人生の物語が止まっている
だが同時に、彼はそれを恐れている。
ホームレスになることは、社会の外に出ることだ。
それは、
- 観察する側ではなくなる
- 書く理由が希薄になる
- 生存そのものが前面に出る
ことを意味する。
森井はまだ、社会の内部にいながら社会を疑う立場を手放せない。
彼を支えているのは「希望」ではない
森井を踏みとどまらせているのは、
- 夢
- 成功
- 将来の展望
ではない。
彼を支えているのは、「まだ言葉にできる」という感覚だけだ。
- 今日の貧しさを、書ける
- 屈辱を、観察できる
- 壊れそうな自分を、記録できる
言葉にできる限り、彼は完全には堕ちない。
森井聖大は「強い人間」ではない
重要なのはここだ。
森井は、
- 強いわけでも
- 健全なわけでも
- 正しいわけでもない
彼はただ、
壊れる直前の状態を、異様なまでに長く引き延ばして生きている
人間だ。
犯罪者にも、ホームレスにもならないのは、そのどちらにも完全に絶望しきれていないから。
堕ちきれないという地獄
森井聖大の苦しさは、「堕ちないこと」そのものにある。
上がれない。だが、下にも行けない。
この宙吊りの状態こそが、彼の生を成立させ、同時に蝕んでいる。
おわりに
森井聖大は、善人だから踏みとどまっているのではない。
彼はただ、まだ言葉を失っていないだけだ。
言葉を失うことこそが、彼にとって本当の破滅なのだ。



