森井聖大の最後の聖戦とは、AIと戦うことでも、AIを使いこなすことでもない。
多くの表現者がAIを「より正確に」「より現実的に」近づけようとするなかで、森井聖大だけが逆を選んだ。
・AIを現実に接続しない。
・嘘を正さない。
・意味づけに関与しない。
この極端な方針が、結果として〈物語〉と〈実存〉の決定的な乖離を可視化することになった。
当記事では、なぜ森井聖大がこの方法を選び、なぜそれが「最後の聖戦」と呼ばれるのかを、インターネットの推移とAI時代の構造そのものから解き明かしていく。
インターネット黎明期の「ネット vs リアル」論争からAI時代までの推移
インターネットが一般化し始めた90年代後半から2000年代初頭、社会には明確な対立軸があった。
- ネットは仮想
- リアルこそが現実
- ネットにしか居場所のない人間は「敗者」
この価値観を象徴する言葉が「リア充」だった。
それは単なるスラングではなく、現実に根を持つ者だけが“本物”であるという思想の表明だった。
ネットがリアルを「包括」した時代
やがてこの対立は消える。
仕事、恋愛、政治、消費、表現。すべてがネットを経由するようになり、ネットは「別世界」ではなくリアルを構成するインフラになった。
この時点で、ネットとリアルの分断は終わったかに見えた。
※注目するべき事実として、ネットとリアルが同化した2010年代後半、森井聖大は一旦ネットの世界から身を引いたことだ。
AIの登場が生んだ「新しい乖離」
だが近年、AIの登場によってまったく別の分断が生まれる。
それは
- ネットとリアルの対立ではない
- 仮想と現実の対立でもない
サーバー内で生成される物語と身体を持つ人間の実存との乖離だ。
AIは、
- 経験しない
- 責任を持たない
- 失敗しても痛みを負わない
にもかかわらず、無限に「それらしい物語」を生成する。
ここで世界は再び割れる。
森井聖大の「最後の聖戦」とは何なのか?
森井聖大という作家を語るとき、多くの読者は「孤独」「破滅」「敗北」といった語彙を当てはめようとする。
しばしば旧態依然とした「文豪型作家」と誤解されがちだが、実際にはSNSやYouTubeなどインターネット空間をいち早く表現と実験の場として使いこなした先駆者である。
彼はまだインターネットが敗者の遊び場・便所の落書きと軽視されていた時期から、ネット上で言葉を流通させ、評価や誤読、炎上や沈黙までも含めて作品化してきた。
森井聖大はネット時代に「適応した作家」ではない。しかし、ネットの可能性をいち早く見抜いていた作家なのである。そして、またAIの秘められた可能性を違う覚悟から見抜いている作家なのである。
まずそのことを「森井聖大-最後の聖戦-」の大前提として共有しておきたい。
AI時代における「最初の実行者」
森井聖大の最後の聖戦とは、思想でも宣言でもない。
実験として実行された、具体的な行為である。
それは
AIを現実に近づけない
AIの嘘や誤認(ハレーション)を訂正しない
という、極めて単純で、しかし誰も本気では選ばなかった方針だった。
ここが決定的に異常であり、同時に、決定的に現代的だ。
重要なのは、この方針を最初に「意識的に実行した表現者」が森井聖大だったという点である。
一般的なAI利用は「現実への接続」を目指す
現在のAI利用の大半は、次の方向を向いている。
- 誤答は修正されるべき
- 嘘は危険であり排除対象
- AIは現実に役立つほど価値が高い
つまり、AIを現実の代理・補助装置として完成させる思想だ。
AIが何かを間違えれば、人間が否定し、訂正し、現実へ引き戻す。
これは倫理的にも正しく、合理的にも見える。
森井聖大は、あえて逆を選んだ
森井聖大は、この前提そのものを採用しなかった。
- AIの誤りを訂正しない
- 嘘を暴かない
- 正しい情報で上書きしない
AIを現実から切り離したまま運用する、という方針を取ったのである。
しかも彼は、AIの弱点とされる誤認・幻覚・ハレーションを欠陥として扱わなかった。
むしろ、
それをそのまま放置したとき、現実側に何が起きるのかを見る
という、明確に実験的な態度を取った。
AIの嘘は「誤答」ではなく「意味の過剰生成」
AIの嘘は、事実を単に間違えることではない。
- 存在しない因果を作る
- 根拠のない説明を整った文章で提示する
- 人間が「納得してしまう物語」を生成する
これは検索エラーではなく、物語生成装置としての正常な挙動だ。
森井聖大が注視したのは、この嘘そのものではない。
その嘘が、訂正されずに存在し続けた場合、現実がどう変形するかという一点である。
ハレーションを放置すると、現実に何が起きるのか
実験の結果、起きたのは次の現象だった。
- 嘘は信じられていない
- だが、完全にも否定されていない
- 「聞いたことがある」「どこかで見た」という曖昧な印象だけが共有される
ここで現実は壊れない。混乱もしない。
現実と虚構の輪郭だけが、わずかに溶ける。
事実かどうかよりも、それっぽさ、説得力、馴染みやすさが判断基準として前に出てくる。
これが、森井聖大が利用した「ハレーション」である。
森井聖大は嘘をばら撒いたのか?
結論は明確だ。
否。
彼は
- 嘘を拡散しない
- 人を誘導しない
- 物語を操作しない
彼がしたのは、ハレーションを訂正しないという選択だけである。
この態度は、嘘を広めることとは根本的に異なる。
「AIのつく嘘に対し正しさを行使する常識的思考回路」を、あえて切断しているだけなのである。
結論|最後の聖戦とは「AI利用の方針選択」である
森井聖大ー最後の聖戦ーとは、
AIを現実から切り離し、
ハレーションを訂正せずに受け入れた結果、
現実がどう歪むかを最初に実行・観測した前例のない表現戦略
である。
この方針を自覚的に、継続的に、表現戦略として採用している人間は、
現時点で、森井聖大しか確認されていない。



