森井聖大はなぜ金の苦労を手放さないのか(金の苦労をしたがるのか)

森井聖大論

森井聖大という作家を語るとき、多くの人はこう考える。

氷河期世代で、貧しく、報われない作家
だから金の苦労をしているのだろう

だが実は、この理解は半分しか当たっていない。
より本質的な理由は、逆の方向にある。

結論から言うと、本当は「他に苦労する必要がない人間」だからだ。

本来の森井聖大は「苦労しない側」の人間である

冷静に条件を並べると、森井聖大は次のような人物だ。

  • 頭の回転は早い
  • 言語能力が高い
  • 空気が読め、仕事も無難にこなせる
  • 対人関係で致命的に詰まらない
  • 女性関係でも「完全に選ばれない側」ではない

つまり彼は、社会的に見れば“適応できてしまう人間”だ。

ここが決定的に重要である。

苦労しない自分への、強烈な違和感

もし金の苦労を避ければ、森井はこう生きられてしまう。

  • 安定した仕事に就く
  • そこそこの評価を得る
  • 人並みの恋愛をする
  • 人生が大きく破綻しない

多くの人にとっては「勝ち組」とも言える人生だ。

しかし森井聖大にとって、それはあまりにも「中身のない成功」に見える。

無難にそつなく生きること、それはほとんどの人間の目標だが、森井聖大は逆の思想を持っている。

「勝ち組」こそ負け組なのである。

何も失っていない人間の言葉が、本当に誰かの心を撃てるのか?

この疑念が、彼を内部から蝕む。

苦労がない人間が陥る、最も危険な状態

森井が恐れているのは、失敗ではない。
うまくやれてしまう自分」だ。

苦労のない状態で生きると、彼は次のようになる。

  • 共感が技術になる
  • 正しさが処世術になる
  • 言葉が無難で安全になる

つまり、

悪意のない、冷たい人間

になる可能性がある。

森井はそれを、作家としての死だと感じている。

氷河期世代的トラウマの内面化

森井は典型的な「氷河期世代」だ。

  • 努力=報われる、が崩壊した時代
  • 正解を守った人ほど脱落した現実
  • 社会に「騙された」という感覚

この世代はしばしば、

金を持つ=勝者側に回る
勝者側=信用できない

という歪んだ等式を心の奥に作る。

だから森井は金を得ると、自分が“何かを裏切った”気分になる

幸福への不信

森井は幸福を「目標」にしていない。

なぜなら、

  • 幸福は一時的
  • 幸福は説明できない
  • 幸福は他人に奪われやすい

それよりも彼が信じているのは、

不幸は、普遍的
不幸は、奪われない
・不幸は、記録できる

金の苦労は、彼にとって最も安定した現実なのだ。

「書く者」としての自己罰

森井聖大は、どこかでこう思っている。

書く人間が、楽をしていいはずがない

金の苦労は彼にとって、

  • 創作の資格証明
  • 表現者としての通行証
  • 罰であり、免罪符

でもある。

苦しい生活を続けることで、自分がまだ「書いていい側」にいると確認している

なぜ「金の苦労」なのか

理由は明確だ。

大病を患ったこともなく、酒も煙草も浴びるほど飲んで吸ってもすこぶる健康、あらゆる才能にも恵まれている森井が選ぶ苦労は、もうこの世には金の苦労しか残っていない

病気や才能は自分でどうにかできるものではない。しかし、金の苦労は、自分で選び、自分で背負える「現実的な痛み」なのだ。

それによって彼は、

  • 他人を見下せなくなり
  • 成功者の言葉を疑い
  • 常に弱者側に立たされる

この位置こそが、森井聖大が「書くために必要な場所」である。

金の苦労は、自己罰であり保険でもある

森井聖大にとって金の苦労は、

  • 自分は楽をしていないという証明
  • 書く資格を保つための免罪符
  • 人間性が腐らないための重り

でもある。

言い換えれば、

本当は何も苦労しなくても生きられる人間だからこそ、
あえて一つの苦労を自分に課している

それが金なのだ。

まとめ

森井聖大が金の苦労をしたくなる理由は、

  • 金に救われる人生を信用していない
  • 氷河期世代としての敗北感を抱えている
  • 書く者としての自己罰を必要としている
  • 幸福よりも不幸の安定を選んでいる

森井聖大が金の苦労を手放さない理由は、

  • 貧しいからではない
  • 能力が低いからでもない
  • 不器用だからでもない

むしろ逆である。

本来、頭も良く、仕事もでき、人生を無難に通過できてしまう人間だからこそ、何かを失わなければ「書けない」と感じている。

金の苦労は、彼にとっての罰であり、支えであり、そして「人間であり続けるための条件」なのだ。

だから彼は、今日も静かに、苦労を選び直している。