1月2日、今日は書初めだ。※昔の人は毛筆で何やら書いたのかもしれないが、私は、このサイトに書くことを書初めと呼ぶ。
新年の幕開けにふさわしく晴れやかな言葉を綴りたいものだが、いかんせん、そんな状態にない。先を考えれば真っ暗闇。生活は日々苦しい。体が動くうちは日銭を稼いで暮らせるとしても、60歳くらいで死なないとどうにもならないだろうことは予想できる。友人もいない。親も死んだ。兄弟もない。子を頼る気持ちもない。
死にたい気持ちからの解放
一瞬、死のうかなと思った時もあった。ある期間、ふと湧いて出る言葉が「あー死にたい」だった。去年の後半くらいは2日に1回くらいは「あー死にたい」と体の芯から漏れ出ていた。だが本気で死ぬという行動まではいかない、気持ちだけの問題だった。
だが、この気持ちが厄介で死にたい気持ちを払拭するまでに半年くらいかかった。特に人生に希望を見出したわけではない。自然と薄れていった。死にたいと思わなくなったのは、12月に入ってからだ。
このサイトを立ち上げてもう少し生きようと思った。
ここまで書いてきて、私という一人称が気持ちと合わなくなってきたから「俺」に変更する。
私から俺へ一人称を変更「俺の文学」
俺には文学しかない。この世界はことごとく俺を裏切ってきたが、文学は俺を裏切らない。
この世界のほとんどのことに懐疑的な俺だが、文学だけは何故か信じられる。
俺にとって文学は生命力の源だ。溢れるほどの生命力ではない。涸れそうで涸れない井戸水みたいなものだ。底の方にずっと文学水が溜まっているのだ。
聖書の解釈が色々あるように、文学の解釈も色々あるだろう。俺にとっての文学は、DNA、人類史、そして末端の俺という生命、存在そのもの。情報なんかクソくらえだ。思想もない。哲学もない。感情もない。
俺は無学の派遣社員だ。
言葉を紡いでいるのは、何も持たない俺という存在だ。俺なんて本当は無いのかもしれないが、この言葉を発している俺がいるのは確かだ。
まだ生きている。
もうこの期に及んで何も望んでいない。息絶えるまで何かわからないこのもやもやを呪文のように唱えていく。これは言葉というヴェールをまとった何かだろう。文学ではないという輩もいるはずだ。そんなことも気にしない。自分の作ったサイトで勝手にほざいているだけなのだから。俺の勝手だ。
最後に新年の抱負を。
新年の抱負
この1年どうにか生きていく。
ただ生きていく。
